古代渡来人”秦氏”ゆかりの地(京都府) [近畿]
2014年10月12日
2014年10月から2015年3月にかけて3回ほどこの”秦氏”ゆかりの地を巡って来たので、ここに記録する。
<広隆寺> 京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
太秦交差点の角にある”聖徳太子”を本尊とする寺で、開祖は”秦河勝”。正に秦氏の氏寺といえる。
創建時は住所にもある「蜂岡寺」と云ったようだが、その後「広隆寺」となっている。
境内にある「太秦殿」に簡単な解説が書かれていた。「往古より秦氏を祭祀せる神社なり 本尊は秦河勝公 後に漢織女、呉織女を合祀す 天保十二年十二月再建す 百済国の弓月君百二十県の民を率いて帰化し其の子孫河勝に至りて地を山城北部に賜い葛野に居住し土地を開拓し、養蚕機織の業に従い之を奨励した。後人其の徳を讃へ神と崇め太秦明神と称した。」
2014年10月から2015年3月にかけて3回ほどこの”秦氏”ゆかりの地を巡って来たので、ここに記録する。
<広隆寺> 京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
太秦交差点の角にある”聖徳太子”を本尊とする寺で、開祖は”秦河勝”。正に秦氏の氏寺といえる。
創建時は住所にもある「蜂岡寺」と云ったようだが、その後「広隆寺」となっている。
境内にある「太秦殿」に簡単な解説が書かれていた。「往古より秦氏を祭祀せる神社なり 本尊は秦河勝公 後に漢織女、呉織女を合祀す 天保十二年十二月再建す 百済国の弓月君百二十県の民を率いて帰化し其の子孫河勝に至りて地を山城北部に賜い葛野に居住し土地を開拓し、養蚕機織の業に従い之を奨励した。後人其の徳を讃へ神と崇め太秦明神と称した。」
<木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)>京都府京都市右京区太秦森ケ東町50
同社を訪れた10月12日は祭りの日に当たっていたようだ。神社の付近や境内には揃いの法被を着た人々が大勢いて、神輿も担がれていた。
同社の”由緒(ゆいしょ)”については左の写真を参照戴きたいが、特に同社の主祭神四柱中「天之御中主神」を祀っていると書かれている。この「天之御中主神」を主祭神として祀っている神社は全国でも少ない貴重な神社と思われた。
当社の目玉とも言える「蚕ノ社(かいこのやしろ)」は、上の「由緒」でも記載されているように本殿右側にあるとなっていた。「蚕養神社」が「蚕ノ社」である。(この写真は2016年6月1日に撮影)
また”由緒”の最後「三柱鳥居」の項の最後に「一説には景教(キリスト教の一派ネストル教約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと伝われている」と書かれているが、写真のように普通の鳥居とは全く異なった形をしている。この神社最大の謎ともいえる。ケン・ジョセフ/シニア&ジュニア著「(隠された)十字架の国・日本」では「関西大学元教授 池田 栄氏の説として、”この三柱鳥居は、秦氏の信奉していた古代基督教の三位一体信仰の象徴であろう”と述べ」たとしている。本書では”秦氏”は「景教徒」であったとのスタンスで書かれているのである。(上の三柱鳥居の写真(右)は2016年6月1日に撮影)
※当記事は別ブログ「雑記帳」で2015年10月12日に記載したものを移動しました。
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