古代渡来人”秦氏”ゆかりの地(兵庫県) [近畿]
2016年5月31日
<出石神社(いずしじんじゃ)>兵庫県豊岡市出石町宮内99
当神社は天日槍(あめのひぼこ)と伊豆志八前大神(いずしやまえおおかみ)を主祭神として祀っている。
天日槍は「播磨国風土記」には朝鮮半島から父の国を探しに日本に訪れたとされている。天日槍が秦氏と関係がある訳ではなく、同行した多くの技術者(職人?)がこの地に住み着き、後に中央(朝廷)の秦氏の傘下に入れられたために「秦氏ゆかりの地」となったのではないかと思われる。
天日槍は新羅王子として渡来し、泥の海であった但馬を現在の肥沃な土地にしたということで但馬開発の神とされ、今でも土木工事完成を祝う祭りが行われているとのこと。
出石神社は但馬国一之宮でもあり「一宮(いっきゅう)さん」の呼び名で親しまれているらしい。
<大避神社(おうさけじんじゃ)>兵庫県赤穂市坂越1299
祭神が秦河勝(はたのかわかつ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、春日大神(かすがおおかみ) の3柱となっており、秦氏の氏長を祀る神社と言って良いと思われる。
秦河勝は聖徳太子の右腕とも言われる秦氏では最も有名な氏長といえる。京都・太秦(うずまさ)にある広隆寺(こうりゅうじ)などでも有名だが、当地、赤穂の坂越(さこし)には、蘇我入鹿(そがのいるか)の迫害を避けて来たとの話もある。
5世紀後半に秦酒公(はたのさけのきみ)という秦氏長が太秦(うずまさ)の地とその名前「太秦」を賜ったと言われている。その関係からか、秦氏関係の土地には「大酒」、「大避」、「大辟」などの字を使う神社があるようだ。
当神社は瀬戸内海に面した海岸から少し山側に入った所にあるが、当神社の駐車場は特にないようで、神社参道入り口にある駐車スペース(2-3台分)に止めるしかない。ここは普段近隣住民も使用しているようで、タイミングが悪いと駐車できない可能性もある。
パーキングから参道の坂道を数分登ると正面に神社がある。神社境内はそれほど広いとは思われなかったが、予想より大きく感じたのは拝殿、本殿などの建物である。建物自体は無垢の木造で非常に歴史を感じるが、他の神社などでみられる朱色に塗られた所がない分、地味ではあるが、より神域を感じさせられた。
秦河勝は聖徳太子の右腕とも言われる秦氏では最も有名な氏長といえる。京都・太秦(うずまさ)にある広隆寺(こうりゅうじ)などでも有名だが、当地、赤穂の坂越(さこし)には、蘇我入鹿(そがのいるか)の迫害を避けて来たとの話もある。
5世紀後半に秦酒公(はたのさけのきみ)という秦氏長が太秦(うずまさ)の地とその名前「太秦」を賜ったと言われている。その関係からか、秦氏関係の土地には「大酒」、「大避」、「大辟」などの字を使う神社があるようだ。
当神社は瀬戸内海に面した海岸から少し山側に入った所にあるが、当神社の駐車場は特にないようで、神社参道入り口にある駐車スペース(2-3台分)に止めるしかない。ここは普段近隣住民も使用しているようで、タイミングが悪いと駐車できない可能性もある。
パーキングから参道の坂道を数分登ると正面に神社がある。神社境内はそれほど広いとは思われなかったが、予想より大きく感じたのは拝殿、本殿などの建物である。建物自体は無垢の木造で非常に歴史を感じるが、他の神社などでみられる朱色に塗られた所がない分、地味ではあるが、より神域を感じさせられた。
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