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古代渡来人”徐福”伝説の地(愛知県) [中部]

2016年3月5日

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菟足神社(うたりじんじゃ)愛知県豊川市小坂井町宮脇2


”秦氏ゆかりの地”の第2弾は、愛知県である。

 

愛知県豊川市のJR飯田線と国道1号が交差する辺りから少し南に行った所に菟足神社(うたりじんじゃ)はある。

比較的こじんまりした境内ではあるが、綺麗に整備され、今でも人の手が入れられていることが良く分かる。また、豊川市教育委員会の解説板が複数立てられており、その歴史の古さが伺われた。 


当社に関わる伝説として以下のような解説がなされている。「菟足神社(うたりじんじゃ)と徐福伝説(じょふくでんせつ) 今から二千二百年ほど前、戦国の中国を統一した秦の始皇帝(しこうてい)は、徐福から東方海上に蓬莱(ほうらい)など三つの神山があり、そこには不老不死の霊薬があるということを聞いた。そこで、始皇帝はその霊薬を求めて来るよう徐福に命じ、三千人の童男童女と百工(多くの技術者)を連れ、蓬莱の島に向かわせた。しかし、出発してからその後の徐福一行の動向はわかっていない。 ところが、わが国には徐福一行の渡来地といわれている所が二十余箇所もある。しかも、わが小坂井町が徐福渡来地の一箇所として挙げられているのである。それは次のような菟足神社に係わることからいわれるようになったと考えられる。 一 熊野に渡来した徐福一行は、この地方にも移り住み、その子孫が秦氏を名乗っている。 ・ 豊橋市日色野町には、「秦氏の祖先は、中国から熊野へ渡来し、熊野からこの地方に来た」との言い伝えがある。 ・ 牛窪記(元禄十年(1697)頃成立)には、「崇神天皇御宇二紀州手間戸之湊(てまどのみなと)ヨリ徐氏古座侍郎(こざのじろう)泛舟(ふねをうかべ)、此国澳六本松(おきのろっぽんまつ)ト云浜ニ来ル。ー中略ー徐福ガ孫古座侍郎三州ニ移リ来ル故ニ、本宮山下秦氏者多シ・・・・・・」とある。 二 菟足神社の創設者は、「秦氏」ともいわれている。


また、当「菟足神社」の解説には「式内 菟足神社(うたりじんじゃ) 御祭神 菟上足尼命(うなかみすくねのみこと) 創立 白鳳十五年(686) 穂の国(東三河の古名)の国造(くにのみやっこ)であられた菟上足尼命は、初め平井の柏木浜に祀られたが間もなく当地に御遷座になった。 当社の大般若経五八五巻は、国の重要文化財に指定(昭和三六年)されている。僧研意智の書(一一七六、一一七九)であるが、長い間弁慶の書と伝えられていた。(弁慶が東下りのおり洪水のため渡航できず、滞在七日の間に書き上げて神前へ奉納したと信じられていた。)なお応安三年(一三七〇)の銘のある梵鐘(昭和三九年県文化財指定)は、本社前の水田から発掘されたものであり、当時は今の手水舎の位置に鐘楼があったことが江戸末期の参河国名所図絵に出ている。 当社のお田祭の行事(昭和二九年県無形文化財指定)は、旧正月七日に行われる。 風祭として知られる例祭は、四月第二土曜・日曜日に行なわれ、打上花火、手筒花火は特に名高い。 また、祭礼の古面(五面)は昭和四〇年県文化財に指定されている。 豊川市教育委員会」と記されており、祭神の「菟上足尼命」は雄略天皇の治世に「国造」に任命されたようである。



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